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記録、考えかた、ちょっと便利情報

有事ほどモノゴトの本質が表れる(気がする)

みなさまコロナ禍、いかがお過ごしですか。

なんだかこういった非常時って、何事に於いても本質が見えてくるような気がして、こういう感覚は残しておかなくてはいけないんじゃないかって思って書いています。

そう、本質なんです。多分、普段だったら見過ごすこと。自分においても。

何故か、思ったことを記録したほうがいいような感じがしたんです。

見回す余裕があると見えること

ある、というか、できた、か。

まとめ系のメディアで「コロナウィルスは陽キャ陰キャ判定材料だ」と書かれているのを見ました。潜在的ないわゆる陰キャにとって、家を出ないことなんてなんてことが無いということから判断できるそうです。

私はといえば、2月中旬に北海道にいた関係で2末からこちらずっといわゆる自粛生活をしています。先述の陰陽判定論を読んだときには、ただ「へー」としか思ってなかったわけですが(自粛2〜3週間目)、徐々に徐々に家に居るのが辛くなる一方。

なるほど、自分はネガティブだから陰かと思っていたけど、陽なのか。

友人に確認すると「明らかに陽だと思う」と皆言うわけです。

そうして家にいてあまりにすることが無いので(語弊がありますね、やることが無いのではなく、なにかをする気力が無いが正解)、いろいろな「情報」を取りに行ったり「観察」をしたりする、に至る。それがつまり、見回すということ。

普段「趣味はエンタメ鑑賞」と豪語する私なので、インプットについてはエンタメで満たしたいわけで、緊急事態宣言以降減少したエンターテイメント領域をそうしたことで埋めていっているように感じます。

見える、気づく、個人、組織、国

で結局何が見えてくるかというと。

  • 今まで見えてなかったことが見える場合
  • もともとの状態を感じて(必ずしも把握してなくてもいい)いつつ、違いを感じる場合

のどちらもあるように感じています。

今まで見えてなかったことが見える

これはまあ、余裕ができたことによる直接的なものによるところが大きそう。

SNSなどを見ていると、今まで見えなかった特定個人の情報を見る余裕ができたんだろうと思います。多分その個人も、普段と違う生活をすることでアウトプット量が変わったんだろうなと予想していますが。

こちはわりと、どうでもいい。初めましての人に会って、その人のことを知っていく過程をなぞるようなものなので。

私が面白いと思ったことはもう一方。

自分の認識(記憶)との違いが見えたケース

仲がいいとか、馬が合うとか、そう思っていた人たちが普段接するのと違う行動を起こして、それをSNSに記録したのを目にした時に感じる好感や尊敬。あるいは、逆に「合わないと思ってたけどそういうことか」とか。

中には、前述の通り自粛生活が合わなすぎて若干鬱に入りつつある私に対し、早々に声を掛けてくれた別オフィス勤務の同僚のホスピタリティへの気づきなども(今まで数年、個人的に親しくしていたわけでもないのに、である)。

個人だけでなく、企業や組織が「こう思ってたのに、意外に好対応をする」とか「この有事に於いて何もしない、ということに気づく」とか。

普段だったら見落としがちなことも、そしてその対象が大小あれど、普段感じないこともこれを機に明確に感じるようになった気がしています。

この状況において、国のやりかたは一体正しいのか、都の方針はどうか、あの企業は、あの情報は、あの人は……

今までぼんやりしていた、あるいはとりあえず目を伏せて見ないようにしていたあらゆるものの輪郭が、自分の中で鮮明になっていく感じ。

そうして、その相手を私はまた、再評価しているということを客観的に感じています。

正直、本当にGW前半くらいまでは(今までは仕事帰りの癒やしが家で休憩することだった筈なのに、その仕事場が家にあるという苦痛、そしてその家に四六時中縛り付けられているというこの悲劇が)精神的にキツくてキツくて、考えることが何もかもネガティブ……という状況にあったのですが、これらの事象に気づいてから少し、世界観察に興味が湧いてきたところにあります。

そして自分の「本質」を掘り下げる

周りのことが見えてくると、次に、いかに自分がアノニマスなのか、という錯覚に陥る。

周りのことに対比して、さっぱり自分のことがぼんやりしてしまっているのです。

そうして時間があると、あるいはなくても自ずと、「あれは(あの人は)こうだけれど、自分の場合にはどう(あるべき)なのか」「今本当に自分がやりたいことは何なのか」「自分を形作るものはどういったものなのか」ということを思案するようになってきたのがここ数日です。

そうして、その記録を残さないことには「アノニマスであること」を打破できないのではということに思い至るわけですが……

こうした感覚や感性を記録することも、自分における本質の一つのような気がして久々にまとめてみましたが、続きや他の話はまた別のエントリーで。どうかまた三日坊主になりませんように……