わたしとWebアクセシビリティ
わたしは「Webアクセシビリティ」というものに、ライフワーク的に取り組んでいる。
と、言い切っていいはず。少し気恥ずかしいけれども、これまでそんなことを触れ回ったことはないので、そろそろ改めて記録するべきだと思って書いている。
これはポートフォリオの一部のようなものでもある。
というのも、イベントやセミナーにお呼びいただいて登壇などの機会が、ありがたいことに増えてきている(後述)。あるいは、何らかの場でコメントを求められたり、Twitterでイベント中のリアルタイムレポートを(偉そうに!)したり。
そんな時にふと、「出自のわからないヤツが四の五の言ってて、周りの人はどう思うのだろう……」と考えてしまうからだ。
更に今まで、個人事業主などでもないことをいいことに「自分の情報」をまとめることを避けてきた。
そろそろきちんと考え方などまとめる時期ではないかと、画面に向かっている。
わたしにとってのWebアクセシビリティ
アクセシビリティは、多くの人の認知の中では「社会福祉」などと同じ括りに入ってしまうと思う。
だが、わたしのやっていることは、親しい人には前から個別には伝えているが「福祉」意識は1mmも込めたことはない。
もとを正せば、Webアクセシビリティって面白いなと思うに至った根源は、「Web」自体の概念・理念に感銘を受けたからだ。
あらゆるところで引用されつくされたものではあるが、Webの父Tim Berners-Leeが、こんな言葉を残している。
The power of the Web is in its universality.
Access by everyone regardless of disability is an essential aspect.
日本語訳としては「Webの力はその普遍性にある。障害の有無に関わらず、誰もがアクセスできることが重要である」。
雑にまとめると「どんな状況でもアクセス可能であるものこそ、Web」ということが言われていて、Webの世界にハマるきっかけこそがこの言葉だった。
この言葉のわたしの解釈は、Webは情報を柔軟にどこからも取り出せるようにする仕組み、例えば情報をRawデータに仕立てるようなもの。
当時(2000年代初頭)紙のデザインにばかり気を取られていたわたしは、Webというのはなんという魅力的な仕組みだろう!と驚嘆したものだ。
この情報への「アクセス」を実現させる(Ability)ことこそがWebであり、その仕組みの骨子こそがWebアクセシビリティである。
つまり前述のような「福祉」の意識が私には一切入っておらず、いかにWebたるや、を突き詰めていくと勝手に担保できているものがWebアクセシビリティという印象をかねてから持っている。
「答え合わせ」のツールがガイドライン
Webのこの素晴らしい仕組みを正当な形にし、情報設計やデザインを実現するためのガイドラインがW3Cにより定められている。
それがWCAG(Web Content Accessibility Guidelines)で、現時点では2.1が最新勧告版となっている。
このWebアクセシビリティガイドラインは、わたしにとっては答えのないもの(例えばデザイン)に良し悪しの「答え」をくれるものだと考えている。少なくとも指針は提示してくれる。
ガイドラインに沿って設計やデザインがおこなわれ、更にWeb技術が使われていれば、誰でも情報にアクセスできるようになる。
魔法のようだが、その実現のために最低限把握しているべきものを提示してくれる。それがガイドラインだと捉えている。
……という前提のもとにTwitterにモヤモヤしていたものを投稿したら、深く意味を考えてくれた方か、あるいは通りすがりかわからないが、多くの方に賛同をいただいたようで歴代(当時*1)1位の「いいね」を記録した。
アクセシビリティって宗教の話じゃなくて情報設計初等科の話だからな(なんかすごいもやもやしている)
— emi moriya (@emim) 2021年1月14日
ところが、「Webアクセシビリティ」を聞いたことがあるような友人であっても、ただのこの1ツイートを見ただけの場合本意は伝わっておらず、別途「実はあの発言にはこういう背景があってね……」と前述の諸々を説明してやっと「ああ、そういう意味があったの!」と言ってくれる感じであった。
そのため、早いうちに前提となる思いをまとめなければ……という焦りも今回の記事を書くに至った理由だ。
重ね重ねで申し訳ないが、わたしはWebアクセシビリティに対し「Webの基礎概念」「当たり前のこと」「最低限」と思っている。そのためWebアクセシビリティは「後から調整」「対応」するものではなく、「まずクリアしているべきもの」という認識をしている。
だからこそ、「情報設計初等科」ということを言ったのであり、誰かが言っているから賛同するような宗教的なものではない。ということに繋がる。
それなので、「これって必ずクリアしていないといけないの?」「必ずしも従わなくてもいいでしょ」という考えには絶対至らず、落とす時点で自分が作っているものを欠陥品に仕立てる。更に、使えない人を出すという「排除行為」を自ら進んで選択することになる、というリスクをはらむ。
ところで、つい先日おこなわれたCSUN 2021 参加報告【AccessiブルGoGo! Meetup #3】 - connpassでも話題になっていたが、「対応」や「配慮」という「追加」の意味を持つ言葉とWebアクセシビリティの相性がなんだか悪いな……というのは、この前提があるからだと思う。
で、わたしは一体どうWebアクセシビリティに関わっているのか
現在わたしは本業で、Web(ブラウザ)、iOS(ネイティブアプリ)、Android(ネイティブアプリ)、それぞれでサービスを提供するプロダクトのUIデザインをおこなっている。
その傍らで、後手に回ってしまっているWebアクセシビリティ改善施策の遂行をリードしている。
リードと言っても偉そうな感じではなく、わたしはHTMLはギリギリわかってもネイティブアプリについてはさっぱりわからないため、賛同してくれるエンジニアを探し、エールを送って改善をしてもらう係だ。あとは、Webアクセシビリティに興味があり、しかし理解の浅いデザイナーと共に、散々先人に「難解だ」と言われ尽くしているガイドラインの要点まとめ会などを実施し、あとから参照できるドキュメント構築を進めている。
それまではデザイナーのできる範囲内だけでほそぼそとWebサイトの改善を進めていただけだったが、いよいよプロダクト側も何らかしたい!というタイミングと、エンジニアが相談に乗ってくれたタイミングが合致し、今に至る。
これらについては、所属組織のブログで記事を書かせてもらった。(ちなみにここで引用はするが、今読まれているこの記事自体は所属組織とは関係なく、ここで述べているのは私の個人的見解である。)
この諸々を元に、昨年(2020年)取組内容を発表する機会をいただいた。
主催の植木さんと相談の上、一定期間を経たら発表用資料は全公開しても良いとの許可をいただいていた*2ため、次のリンクよりご覧いただける。 → アクセシビリティの学校2020_配布用 - Google スライド
わたし個人の感覚としては諸々の施策に対しできるところから粛々と、しかし遅々として進められていない……というイメージがあったのだが、参加者からは概ね好意的な賛同ツイートをいただけた。ありがたいものだ。
その他、個人での活動としては、ウェブアクセシビリティ基盤委員会というWebアクセシビリティのJIS規格「JIS X 8341-3:2016」の理解と普及を促進するための団体の、作業部会1というところに所属して活動をしている。
委員会活動ももちろんコミットしてはいるが、それ以上に自分のアンテナより広いところから上質な情報が集まる状況にあり、おのずとWebアクセシビリティには詳しくなっていく環境にあり、感謝しかない。
これからのWebアクセシビリティの位置づけ
昨今の状況は、いままでよりずっと世間/世界的にはWebアクセシビリティへの期待・責任感が高まっているように感じる。
SDGsの観点からも、いくつかの観点で協力ができる。例えば、8: 働きがいも経済成長も、9: 産業と技術革新の基盤をつくろう、10: 人や国の不平等をなくそう、12: つくる責任つかう責任、このあたりが割と直球に達成に貢献できる事項だろう。
GAFA各社も、インクルージョンなどの視点から(もはやWebアクセシビリティというワードは使わず)施策を打ち出してきているところも多い。
日本にいると「後で対応すればいいでしょ」という感覚に陥るかもしれないが、世界は法整備も整いつつあるし、井の中の蛙的になってしまうのではないかという(他人への)不安さえ起きる。逆に、今のうちから意識しておければ、自分の資産や武器になるのも、Webアクセシビリティではないかなと思う。
現に、あまりWebアクセシビリティについて物申すデザイナーがいなかったため、出自の不明なわたしであってもセミナーなどでお声が掛かった、という前例がわたしから提示できる。
追加武器として今、向き合っておくにはWebアクセシビリティはいいタイミングではないかと思うので、オススメしたい。特にデザイナーには。